―危うく失明―
0歳の時、銭湯に入っていて、近所の女の子にお風呂の角へぶつけられて目のすぐ横の目尻を切り4針縫った。
危うく片目が一生失明するところでした。
―自立―
1歳3ヶ月の時に弟が生まれ、その頃から自分のことは自分でしなければいけないと何となく感じていました。
―小学校時代―
―習字・硬筆展入賞―
小学校に入ってから習字と硬筆を習い、鹿児島市の展覧会に2年連続入賞。
その後、習字と硬筆も辞め、個性的な字体になり現在に至る。
―スポーツ―
小学校のときは、剣道と水泳をやっていました。
しかし、どちらも平凡な成績でこれといった特技にもなっていません。
―南日本新聞賞―
小学校5年生のとき、たまたま見ていたNHKスペシャルでアフリカの飢餓に苦しむ人たちのことを日記に書いたところ、先生に進められ南日本新聞賞に投稿。
見事、入選。
―小学校時代の私―
小学校時代は、勉強もスポーツもできるほうでしたが、特にこれと言って目立った子ではなかったと思います。3人兄弟の長男と言うこともあり、性格はマジメでした。
―中学受験―
坊主(鹿児島は当時、中学校は皆坊主でした)になるのが嫌で私立中学受験。←本当はそれだけではありませんが・・・
私立鹿児島中学校に入学。
当時、鹿児島で私立の中学に行くのは珍しい方でした。
―一命を取り止める―
中学2年の時、朝通学中に自転車で崖に激突し右肩複雑骨折。鎖骨が2箇所折れ骨が皮膚に突き刺さった状態になっていたため、手術を行いました。
自転車で学校に向かう途中、坂道で車2台を追い越した後、スピードが落ちずに崖に激突。前に5メートルほど頭から投げ出されたが、前周り受身をとり頭への怪我はなし。
当時、柔道を学校のクラブでやっており受身の練習をしていたのが幸運でした。
―高校時代―
高校は第一希望だった高校に落ちてしまい、大学受験に専念するため家から片道1時間30分ほどかかる高校に通っていました。
電車に1時間ほど乗るのですが、鹿児島で電車通学1時間というと鹿児島市から熊本近くまで行きます。それほど遠い場所にありました。
しかし、この電車通学、結構楽しかったです。いろんな学校の人たちと出会えたし、その1時間の間は友達とバカやったり勉強したり。
高校時代は、ひたすら勉強でした。朝の8時過ぎから夕方5時過ぎまで9時間授業で、土日も模試があったりしていました。
学生の頃は、勉強ばかりしていてかなり真面目だったと思います。 |